こんにちはカズです。
今回は、高すぎる目標の欠点について書きたいと思います。
この社会で生活していると、目標設定し成長することが重要なことだと教わります。ただ、それが高すぎると弊害もあると思います。生活に、不安や不満が多くなり、幸せ感が味わえなくなることがあるからです。それは何故なのでしょうか。どうすればいいのでしょうか。
なぜ高い目標設定が現状を不満にするのか
日々、目標に向かって生活していると、気づいたらいつの間にか目標と今の自分に、落差があり落胆することはないでしょうか。いつになったら達成できるのだろうかと不安になり、それが、日常的繰り返されると、現状が不満になり自分を傷つけたりします。日々の成長が感じられないからかもしれません。
なぜ目標設定をする習慣がつくのか
私たちは、特に学校教育を通じて勉強でも運動でも、少なからず目標を設定する習慣を身につけます。目標設定自体、悪いことではなく、かえって必要なことです。
ただ、欲と似ていて、最初はそれほど高くなかったのに、いつの間にか、必要以上の身の丈に合わないものになっていたり、なかには、それを達成するためには、手段を選ばないといった衝動的なものになってしまう場合もあるようです。後者は自分を傷つけるばかりでなく、他人にも迷惑をかけますので要注意です。
物質的なものより精神的なもの?
昭和の高度成長期は、戦後の物不足もあり、物質的に豊かになろうと国民全体が同じベクトルに向かっていました。三種の神器などの表現は、その時代の象徴ですよね。
しかし、時代は平成を経て令和に入り、衣食住は既に充足し、私たちに生活はある程度満たされています。もちろん、まだまだ成長の余地はありますが、全体的な成長の限界は、GDPを見れば明らかだと思います。資本主義経済の宿命である、右肩上がりの成長は全体的には限界となっています。
それに対して、心の豊かさを追求することは、無限の可能性があり、もうすでに、そこにシフトしている人も多いと思います。
足るを知る者は富む
現状に満足し、感謝して生活していれば、不安や不満は少なくなります。それを基礎に少しづつ目標を達成して行けば、自分も他人も傷つけないし、かえって長期的には、大きい目標も達成し易くなるのではないでしょうか。
まとめ
「足るを知る者は富む」とは老子の言葉です。
目標を持つことは必要なことです。ただ気をつけないと身の丈に合わなかったり、目的と手段をはき違えたりします。その結果、本末転倒になることも多くなります。
老子の言葉をベースに、階段を一段一段のぼっていくのが、結局のところ、早道で安全なのではないでしょうか。
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