毎日、暑い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。
今月は本当に痛ましい事件が起きました。選挙期間中に元首相である現職議員が銃撃されてしまうとは...
政策には賛否両論がありましたが、第一次安倍内閣が発足したとき、ご自身で書かれた「美しい国へ」(文春新書)の内容の通りに、当時の世間の暗い雰囲気が払拭され、世間の雰囲気が明るくなったことを思い出します。
どうか安らかにご永眠されますよう、心よりお祈り申し上げます。
一方で、コロナの第七波でここ大阪は「医療非常事態宣言」が発出され、一部に行動制限がでました。また、全国的にも感染者数の最多を更新していますので、弱毒化しているとはいえ引き続き細心の注意をしてください。
さて、今日はこの生きづらい世の中で「よく生きる」ための知恵の一つを紹介したいと思います。
エピクテトスという哲学者をご存じでしょうか。
ローマ時代のストア派を代表する哲学者ですが、ごく平凡な庶民が、いかにして真の自由を享受し、幸福な生活にあずかることができるのかを説きました。
曰く
物事のうちには「我々次第であるもの」と「我々次第でないもの」との両方がある。
判断、意欲、欲望、と忌避など、およそ我々の[こころの]働きによるものは「我々次第」だが、自分の身体や財産、他人からの評判、地位官職など、およそ我々の働きによらないものは「我々次第」ではない。
「我々次第であるもの」は本来、自由で妨げられないし、他人から邪魔されない。だが、「我々次第でないもの」は脆弱で、隷属的で、妨げられてしまうし、自分のものではない。(「提要」1)
自分の身体のことや地位、名誉、財産、他人からの評判などよく考えてみれば、我々が欲望を向けているものの多くは、実は自分にはどうにもできないものばかりです。
「努力すれば手に入るのではないか?」と思う時もありますが、多かれ少なかれ誰かの意向や時の運が絡むことが避けられない以上、完全に自分の裁量内にあるもの、つまり「我々次第であるもの」とは言えない。
真の意味で自由に生きるためには、こうした「我々次第でないもの」に囚われてはいけない、とエピクテトスは説いています。
現代はメディアなどを通じて、スポーツ選手、政治家、芸能人など俗にいう「セレブ」たちの優雅な暮らしぶりを伝えられています。それなので、ひそかに憧れてしまうのも不思議ではありません。
しかし、それらは自分の裁量でどうにかできるわけではないのに、他人の成功や繁栄をみて憧れの念を抱き、自分も目立ちたくなったり、不必要な競争に駆り立てられたりして結果として自分が苦しむのは、間違いなく愚かなことです。
こうした「我々次第でないもの」を軽くみることが、幸福への近道のようです。
コメント