ダイバーシティと憲法

法の女神-1 ブログ

年が明けて1ヶ月以上たちましたが、お元気でお過ごしでしょうか。

年が経つのは本当に早いもので、もう令和4年です。

最近は、まん延防止措置がほぼ全国に適用され、コロナ騒動もまる2年になりました。これほど長期にわたるとは思っていませんでしたが、今年こそは収束して元の生活に少しでも戻りたいものです。

今回のウイルスも感染力が強いみたいなので、引き続き感染防止には留意してください。

さて最近、ある動画で「近い将来、憲法改正の議論が世論を分断する」というのを見て、たまたま資格取得のために法律の勉強をし始めたところだったということもあり、とても憲法に興味をもったのでそのことについて書きたいと思います。

私の今までの憲法の認識は俗にいう六法の一つで、国民主権とか、基本的人権の尊重や平和主義といった何か理想的なもの、普段の生活から少し離れている法律?、といったものでした。

でも、先に話した動画と同じ時期に読んだ、「伊藤真の憲法入門(日本評論社)」が新しい視点を与えてくれ、新しい世界観に変えてくれました。憲法のもっとも大切な考え方について、私は残念ながらこの本を読むまで知りませんでした。

憲法は「1人ひとりの人間を個人として尊重する」ということを最大の価値としています(13条前半)。どんなに貧しい人も豊かな人も健康な人も障害をもった人も、肌の色が違っていようが、宗教が違っていようが、すべて個人として尊重されるべきだという考え方です。

最近はダイバーシティというワードをよく見かけます。これは多様性という意味らしいのですが、すでに75年も前から憲法でその多様性を保障してくれていたんです。こんなにも私たちをそのまま包み込んでくれるような素晴らしい法だったのですね。

そして、すべての政治も国の組織も、この個人の人権を保障するするための手段として存在しているということです。

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。

ここで注目すべきは、「国民」が入っていないことです。国民に憲法を守れとは一言もいっていません。

国家機関の担い手である公務員に「憲法を尊重し、守りなさい」といっている条文です。つまり憲法は国家権力を制限して国民の自由を守るものだったのです。

このように国家権力を規制するにいたるには、多くの国の多くの市民が血を流して人権を獲得した歴史的な背景があります。

18世紀末のアメリカの独立宣言やフランス革命(人権宣言)がそうです。日本も結果的に国民の多大の犠牲のもとに現行憲法は生まれたといっても過言ではないと思います。

そして、そういった歴史的な背景を踏まえ、全ての法律はこの憲法の価値から生まれ(最高法規性)、すべての国家権力は憲法に拘束されるということを理解する必要があります。

近く国民の間でも始まる兆しのある「憲法改正」の議論ついても、まずは私を含めて憲法についてもっと勉強し、正しく理解する必要性があると感じています。

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